土屋敬子(つちや たかこ)
長野県千曲市(旧戸倉町)生まれ
布との出会い
4歳の感動
それは母の手の中で繕(つくろ)われていく足袋の見事さに接した時でした。
当時どの家庭でも布生地不足でした。市場での布地不足も極端でした。
そんななかで、母は毎晩のように家族の衣類を補修していました。
母の傍(かたわ)らにばかり居た私は、じっとその手元を見続けていました。当時とても自分では出来ない繕(つくろ)いを見事に母はやっていました。まさにその手先は魔法使いのように思えました。
どうして、そのようなことが今でも鮮明に脳裏に焼きついているのか、自分でもわかりません。それは、現在も忘れられない強烈な記憶として残っています。
姉からの贈り物
私が8才のころ、姉から贈られたコートの素敵さに感動したときのことでした。
私は末っ子だったこともあり、常に姉達のお下がりばかりでした。姉からの贈り物は、まさしく私を「天にも昇る」思いにさせてくれたのです。
そのときの感動を今でも表現することが出来ません。
「私も大きくなったら・・・・」という悲願に近い夢を育てたことだけは確かな気がいたします。
織ることを通しての体験
出来上がっている布地を見ていてもなかなか「ストン」と納得したと言いますか、理解といいますか、わかったといいますかそのような気持ちになれませんでした。
布の「こころ」を理解するために、同じ町の機織(はたおり)業の方を訪ねてみました。実際の機織の経験はわずかな期間でしたが、私にとって貴重なものでした。
決して効率的ではありませんが手織(ており)の絶妙な触感が私に布に対する愛着を更に強めることとなりました。
子供のための小物作り
実に時の流れは早いものです。
母からの感動、姉からの歓喜が、今度は自分自身で「与えるべき」立場になっていたのです。
その頃になりますと最早国中に物が溢れ、いわゆる「既製品」が安価に手近かなところで手に入るようになっていました。育児に追われていた時でもあり、大方は既製品に頼っていました。
やがて子供たちも友達とも交わるようになってきますと、少なくとも小物くらいは、私の手作りでと思うようになりました。
もちろん、子供たちは手を叩いて喜んでくれました。その後、日を追うごとに布あそびにはまっていったのは当然の成り行きといっていいでしょう。
やがて親戚の子供に、そして近所の子供さんにも一肌脱ぐようになりました。